2005-11-14

健康ソフトハウス物語  [by miyachi]

昨日は家族外出中に納戸の整理をした。古い物を捨てないと日々増殖して行く荷物が収納できないのだ(^^; てー事で古い書籍も戸棚の中から発掘して不要な物は捨てて行く。と見ると懐かしい書籍も幾つか。これはブログネタになるなと言う事で第一回は「健康ソフトハウス物語」をば。サブタイトルは「パソコン業界少女の生活」となっているが、主人公は下北沢のDシステムで学校を辞めてバイトとして働いたばかりの山崎マキコ氏だ。1990年の第1版が手元にあるが、さすがにこの本はアマゾンでも扱って無いなあ(笑)

内容は下北沢でDTPシステムを開発しているソフトハウスにバイトとして入った主人公のエッセイ的な暴露本である。1980年代末頃の話なのでパソコンなんてまだオタクしか使っていない世界だ。MS-DOSでPC-9801な時代の話だ。ソフトハウスなのでSun(「25メガのSPARCが手に入ったよ~」とか)が憧れだったりソニーのNEWS(独自開発のBSDベースのOSを使ったワークステーションだ。知らん人も多いだろうなぁ…)が導入されて大事にされている辺り微笑ましい。

まあ懐かしい内容ばかりだが、ソフトハウスをやっている今となっては共感する言葉もあったりする。ちなみに1990年頃までは私もサラリーマンとしてSEやっていた時期で、この本を読んでソフトハウスと言う物に憧れと畏れを抱いていたりした。では共感したと言う社長の言葉をば、納期でボロボロになっている社長が呟いたものだ。

「あんまり辛いときって、なんで会社なんかやってんだろ、って思うけどさ。でもやっぱ、自分のスタイルで仕事が出来るっていいよ。人からあれをしろのこれをしろの、それ以外はやるななんて指示されるのはまっぴら。僕は自分のしたい仕事を、好きなだけやって、あとは寝てるのが好きなの。」

う~ん涙で目の前がくもって液晶ディスプレイが見えません(笑) 続いたセリフが。

「山崎、パプアニューギニアに支社を持とうな。バナナ食いながら仕事したら、きっと楽しいぞ。」

うんうん。夢を持つって大切だと思ふ。ええ話やなあ… 当時はパソコンブームの前なのでソフトハウスなんてものを経営して行くのは物凄く大変だったと思う。私もその後何の因果かソフトハウスで開発をやるようになり、その後1社を経て現在に至る。その間にはパソコンバブルもあったりしたなあ…(遠い目)

懐かしさのあまりに再読中なのだが、ふとここに出てくるDシステムや山崎マキコ氏は現在何をしているのか、まだあるのかと思い検索してみた。まずはDシステムはなんと先月自主廃業していた。何てタイムリーなんだ(笑) 社長さんはお元気のようですね。何よりです。山崎マキコ氏は本書で味をしめた(<失礼な言い方だな(^^;)のか現在もお元気にライターさんとして活躍中のようだ。

私も頑張ってソフトハウスを長く続けて行きたいものだ。自分がやりたい事だから頑張れる。そう言い続けて行ける為にも… そうそうもちろん続編の「続 健康ソフトハウス物語」もあるのでこの後で読む予定~

2005-11-14 12:54:31 - miyachi - [プログラマの生活] -

コメント一覧

コメント無し

コメントを書く

このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。